Ryuta.k【放浪社長】

起業家。放浪者。読書家。偏差値40台の高校卒→早稲田大学入学→起業し中退→キャリアデザインスクール経営→フリーランス→SNS広告関連会社代表。妻と2人暮らし。在野での哲学研究をライフワークにしてます。趣味は将棋(三段)です。

ポジティブ推しの世の中で

 

 

新型コロナウイルス対策で緊急事態宣言が幾度も発令されるなど世間が塞ぎ込みがちな状況が続いている中で、「ポジティブであれ!」というツイートや発信を見かけることが多くなった。

 

ポジティブな人やポジティブな姿勢であることは素晴らしいことだし否定されるべきことではない。

人間社会の"原則"として明るい方が楽しいし暗いのではつまらないというのは理解できる。

しかしこれだけ「ポジティブであれ!」を見かける機会が多いと些か宗教じみたものを感じざるを得ない。

 

私観ではあるが、「ポジティブ度合い」というのは運動神経や芸術的感性と同じようにある程度先天的なものに左右される。

アポステリオリに身につく明るさというものも無いではないがそこには些か擬態性がある。

より砕けた言い方をすれば「明るい性格の人はどう転んでも明るいし、暗い性格の人は無理して明るく振る舞っても何かちょっと痛く見える」ということだ。

 

生まれつき明るい人は「ポジティブであれ!」という発信を多く見かけるこのご時世であっても「その通りだ!明るくあるべきだ!」と手放しで共感できるのかもしれないが、私のように生まれつき"暗め" な人間にとっては息苦しさのようなものを感じてしまうのもまた事実だと思う。

 

私のような根暗人間に送りたい言葉は「無理にポジティブにならなくてもいいんだよ」ということだ。

人間社会が含まれている地球全体、地球が含まれてる宇宙システムに総じて一貫して言えることだが、世界は多様性でできている。

無理に同一になろうとする世界は崩壊してしまう。

すごく明るい人もいればすごく暗い人もいる。

やや明るい人もいればやや暗い人だっている。

「ポジティブさ」を否定するつもりは毛頭ないが、「ネガティブさ」もまた否定されるべきではないのだ。