Ryuta.k【放浪社長】

起業家。放浪者。読書家。早稲田大学中退後、マーケティングとライティングのスキルをバックボーンにキャリアスクール事業や広告系事業を営んできました。今はフリーランスとして自由に楽しく働いてるアラサーです。型にはまらない特異な経歴と1万冊以上の読書経験から得た知恵をもとに「人生と考え方」「ビジネス」「パートナーシップ」「勉強術」などを発信しています。

ポジティブ推しの世の中で

 

 

 

 

新型コロナウイルス対策で緊急事態宣言が幾度も発令されるなど世間が塞ぎ込みがちな状況が続いている中で、
「ポジティブであれ!」というツイートや発信を見かけることが多くなった。

 

 

 

ポジティブな人やポジティブな姿勢であることは
素晴らしいことだし否定されるべきことではない。

社会の"原則"として明るい方が楽しいし暗いのではつまらないというのは理解できる。

 

 

しかしこれだけ「ポジティブであれ!」を見かける機会が多いといささか宗教じみたものを感じざるを得ない。

 

 

 

私観ではあるが、「ポジティブ度合い」というのは運動神経や芸術的感性と同じようにある程度先天的なものに左右される。

アポステリオリ(後天的)に身につく明るさというものも無いではないがそこには擬態性があるような気がする。

 

より砕けた言い方をすれば「明るい性格の人はどう転んでも明るいし、
暗い性格の人は無理して明るく振る舞っても何かちょっと痛く見える」ということだ。

 

元々「ネアカ」な人と、元々「ネクラ」な人がいるということだ。

 

 

生まれつき明るい人は「ポジティブであれ!」という発信を多く見かけるこのご時世であっても
「その通りだ!明るくあるべきだ!」と手放しで共感できるのかもしれないが、
私のように生まれつき"暗め" な人間にとっては息苦しさのようなものを感じてしまうのもまた事実だと思う。

 

 

 

私のような根暗人間に送りたい言葉は「無理にポジティブにならなくてもいいんだよ」ということだ。

 

 

人間社会が含まれている地球全体、地球が含まれてる宇宙システムに総じて一貫して言えることだが、
世界は多様性でできている。

 

無理に同一になろうとする世界は崩壊してしまう。

 

 

すごく明るい人もいればすごく暗い人もいる。

陽キャがいれば陰キャもいる。

「ネアカ」な人もいれば「ネクラ」な人だっている。

 

 

 

「ポジティブさ」を否定するつもりは毛頭ないが、
「ネガティブさ」もまた否定されるべきではないのだ。