「豊かな人生の定義ってありますか?」と聞かれた。私は勉強をし続けられる人生こそが豊かな人生だと思っている。勉強し続けられる自由時間があること。勉強し続けられる経済的余裕があること。勉強し続けられるエネルギーの余裕があること。勉強し続けられる健康があること。一生勉強し続けたい。
— Ryuta.k (@Rkpb_R) 2021年7月9日
「お金がある人生こそが豊かな人生だ」と言う人は多いです。
豪語せずとも内心で「人生お金こそが大事だ」と考えている人は多いでしょう。
もちろんその考えは否定されるべきではありませんし、
私も一部分では賛成です。
日本を含む世界が「お金の論理」で動いている以上、
お金がない人生は苦痛そのものです。
端的に言えばお金がないと食べるものも着る物も買えません。
17世紀頃までは村落等の共同体内での相互贈与や交換で生活を成り立たせていくのが世界的なマジョリティであり、
人々は必ずしもお金を稼ぐことに躍起になっていたわけではありませんでした。
共同体内の中で農業漁業や手工業などの与えられた役割をこなしていれば生活できたわけです。
しかし貨幣経済と市場競争が世界の隅々まで行き渡った現在ではそういった生き方は超少数派でしょう。
国内で言えば沖縄の離島などに行けばまだそういった「ご近所」同士の交換原理で生活がほぼほぼ成立している場所もあるかもしれませんね。
「新鮮な魚が獲れたよ!こないだアンタがくれた野菜の礼に分けてあげるよ〜」なんて言って。
私が「人生=お金」と言う意見に一部分賛成であるのは、
この世界がお金の原理で動いているからです。
しかし「一部分」と書いたのはお金は手段であり目的ではないと考えているからです。
私にとってお金は最低限の人間的な生活(衣食住)と、自由時間と心の静けさを担保してくれるものです。
あくまでこれらを得るための手段としてのお金であって、
私にとってはお金を目的にこれらが損なわれてはいけないのです。
つまり、お金を得るために「自由時間と心の静けさ」を失っては本末転倒だと考えています。
さらに言えば「自由時間と心の静けさ」は私にとって「勉強」のための手段となります。
私は勉強が大好きです。
勉強と成長のために生きています。
勉強と成長の途上で死ねるなら本望だと考えています。
人生の究極の目標を「勉強し続けること」に設定しています。
お金は自由時間と心の静けさを得るための「手段」であり
自由時間と心の静けさは勉強し続けるための「手段」である。
お金は生活に必須である一方で、自由を得るための「手段」にすぎないものです。
お金は「目的」ではありません。
こればかりは価値観の相違だとしか言えませんが、
ワーカホリックならぬ「お金ホリック」に陥っている人があまりに多いのではないかと思うのです。