コミュニケーション上手な人の特徴は、第一に「聞き上手」、第二に「共感上手」、そして第三に「褒め上手」だと思う。三点に共通しているのは「相手を深く理解しようとする姿勢」だ。自己中心的ではコミュニケーション上手とは言えない。相手を尊重する姿勢が非常に大切。
— Ryuta.k (@Rkpb_R) 2021年6月30日
「弁が立ち流暢に喋れる人はコミュニケーションが上手い」
というイメージがあると思います。
ペラペラとよく喋る敏腕(そうに見える)セールスマンやセミナー講師などを思い浮かべてそのような想像がされているのでしょう。
たしかに彼らは一見、コミュニケーションがとても上手そうな印象があります。
私もプライベート、仕事を問わず営業職の方とお会いする機会が多く、
そのような「弁舌爽やかなセールスパーソン」ともしばしば面談してきました。
彼らは確かに話の論理構成がしっかりしていて、淀みなく流暢に話し、スピード感もあり、自信に溢れ、そして自らや自らの会社を権威づける能力に優れています。
自分に自信たっぷりで話力がある、確かに優れた才能の持ち主です。
彼らを尊敬している後輩などもきっと多いことでしょう。
しかし、一方で私は彼らの「トーク」に一抹の居心地の悪さを感じていたのも事実です。
確かに話の筋が通っている。
確かに流れるようなお手本のようなトークだ。
しかしそこにはある種の「一方通行」の感覚がありました。
「顧客たる私が置き去りにされている感」を拭うことができませんでした。
結局、私は彼らからサービスの提供を受けることを断念したのです。
「コミュニケーションが上手い人は必ず双方向的な意思疎通ができる、少なくともそれをしようとする」というのが私の考えです。
なぜ冒頭のセールスパーソンらと対面した時に「言いようのない居心地悪さ」を感じたのか。
それは彼らが「双方向的」ではなく「一方通行的」なコミュニケーションをとっていたからに他ならないでしょう。
砕けた言い方をするならば、彼らは、「自分の喋りたいこと」
を喋るばかりで相手のことを見ていないのです。
相手の気持ちを汲む姿勢が希薄なのです。
優れたコミュニケーションをする人はまず「相手ありき」です。
言葉のキャッチボールという表現がありますがまさにそれです。
滞りなくキャッチボールをできるよう場を整える「姿勢」があるのが、
いわゆるコミュ力の高い人なのです。
豪速球が投げられる人
変幻自在に変化球を操れる人
何連投もできる人
これらの人は確かに素晴らしい。
投球における能力は確かに賞賛されるべきものでしょう。
しかしそれらの能力と「キャッチボールのための場を整えられる能力」はまた別物なわけです。
換言すれば、優れたスピーチをする人と優れたコミュニケーション能力を持っている人はそもそも参加している競技が違う。
冒頭の営業マンは優れたスピーカーであっても優れたコミュニケーターではありませんでした。
コミュニケーション能力の高い人は相手ありきで物事を考えられる人です。
「喋り力=コミュ力」は成り立たない場合も多い。
人を尊重できない人は、例えどんなに喋り「上手」であったとしても、コミュニケーション「下手」なわけです。