Ryuta.k【放浪社長】

起業家。放浪者。読書家。偏差値40台の高校卒→早稲田大学入学→起業し中退→キャリアデザインスクール経営→フリーランス→SNS広告関連会社代表。妻と2人暮らし。在野での哲学研究をライフワークにしてます。趣味は将棋(三段)です。

トーク力=コミュ力?

 

 

 

 

「弁が立ち流暢に喋れる人はコミュニケーションが上手い」
というイメージがあると思います。

ペラペラとよく喋る敏腕(そうに見える)セールスマンやセミナー講師などを思い浮かべてそのような想像がされているのでしょう。

たしかに彼らは一見、コミュニケーションがとても上手そうな印象があります。

 

 

私もプライベート、仕事を問わず営業職の方とお会いする機会が多く、
そのような「弁舌爽やかなセールスパーソン」ともしばしば面談してきました。

 

 

 

彼らは確かに話の論理構成がしっかりしていて、淀みなく流暢に話し、スピード感もあり、自信に溢れ、そして自らや自らの会社を権威づける能力に優れています。

自分に自信たっぷりで話力がある、確かに優れた才能の持ち主です。
彼らを尊敬している後輩などもきっと多いことでしょう。

 

 

 

 

しかし、一方で私は彼らの「トーク」に一抹の居心地の悪さを感じていたのも事実です。

 

 

 

確かに話の筋が通っている。

確かに流れるようなお手本のようなトークだ。

 

 

 

しかしそこにはある種の「一方通行」の感覚がありました。

「顧客たる私が置き去りにされている感」を拭うことができませんでした。

 

結局、私は彼らからサービスの提供を受けることを断念したのです。

 

 

 

「コミュニケーションが上手い人は必ず双方向的な意思疎通ができる、少なくともそれをしようとする」というのが私の考えです。

 

 

 

 

なぜ冒頭のセールスパーソンらと対面した時に「言いようのない居心地悪さ」を感じたのか。

 

それは彼らが「双方向的」ではなく「一方通行的」コミュニケーションをとっていたからに他ならないでしょう。

砕けた言い方をするならば、彼らは、「自分の喋りたいこと」
を喋るばかりで相手のことを見ていないのです。

相手の気持ちを汲む姿勢が希薄なのです。

 

 

優れたコミュニケーターは「相手ありき」のコミュニケーションをします。

言葉のキャッチボールという表現がありますがまさにそれです。

滞りなくキャッチボールをできるよう場を整える「姿勢」があるのが、
いわゆるコミュ力の高い人なのです。

 

 

豪速球が投げられる人
変幻自在に変化球を操れる人
何連投もできる人

これらの人は確かに素晴らしい。

投球における能力は確かに賞賛されるべきものでしょう。

 

しかしそれらの能力と「キャッチボールのための場を整えられる能力」はまた別物なわけです。換言すれば、優れたスピーチをする人と優れたコミュニケーション能力を持っている人はそもそも参加している競技が違う。

 

 

冒頭の営業マンは優れたスピーカーであっても優れたコミュニケーターではありませんでした。

 

 

コミュニケーション能力の高い人は相手ありきで物事を考えられる人です。
「喋り力=コミュ力」は成り立たない場合も多い。 

 

人を尊重できない人は、例えどんなに喋り「上手」であったとしても、コミュニケーション「下手」なわけです。