「当たり前」という感覚は恐ろしい。感謝してたことでも油断すれば「当たり前」になってしまう。面接時に憧れていた企業でも入社して数年経てば働いてるのは「当たり前」になってしまう。新婚時は相手の存在に感謝していた夫婦も慣れれば相手の存在が「当たり前」になってしまう。感謝を忘れないこと。
— Ryuta.k (@Rkpb_R) 2021年7月25日
「感謝」の対義語は「当然」です。
「感謝」の対義語は「当たり前」です。
「ありがとう」を感じで表記すると「有難う」となりますが、
「有難い」ということは「有るのが難しい」つまり、「当たり前ではない」ということです。
「ありがとう」と感謝の気持ちを表明するということは、
「その存在が」もしくは「その行為が」得がたく類を見ないもの/こと/振る舞いであるということを表明するということでもあります。
「ありがとう」と父/母に伝え続けるということは、父/母に対して
「あなたの存在は私にとって得難いですよ」と伝え続けるということです。
「ありがとう」と妻/夫に伝え続けるということは、妻/夫に対して
「あなたの存在は私にとって得難いですよ」と伝え続けるということです。
「ありがとう」とビジネスパートナーに伝え続けるということは、ビジネスパートナーに対して
「あなたの存在は私にとって得難いですよ」と伝え続けるということです。
「ありがとう」と口にしなくなった瞬間から人は傲慢になります。
「傲慢さ」とは周囲にいてくれる人たち、周囲の環境等を自明のものとみなすことです。
例えば毎朝、そんな法律も義務もないのに妻がコーヒーを淹れてくれるのを自明のこととみなすことです。
例えばビジネスパートナーがあなたの仕事にとって最適な環境作りのため根回しをしてくれているのを自明のこととみなすことです。
忘れてはいけない大切なことは、
家族であれ友人であれビジネスパートナーであれ、みんな「他人」です。
他人があなたのために何かをしてくれる、動いてくれる、尽くしてくれる、
それは本来「当たり前」のことなんかでは決してありません。
常に感謝し続けるべき偉大なことなのです。
どんなに感謝しても満足すべきではないのです。
でも多くの人は惰性と習慣に埋もれ感謝を忘れていってしまう。
「そんなこと言ったって慣れ親しんでる環境に感謝なんかできないよ」
と言う方もいるかもしれません。
その気持ちもよく分かります。
もしよかったらまずは「ありがとう」と口に出してみてください。
「ありがとう」という発言を習慣化してみてください。
人の心は人の身体と連動しています。
「ありがとう」という言葉を発し続けたとき、例えば何気ない配偶者の日頃の気配りに対しても、
心から感謝を抱けるようになっている自身に気づくかもしれません。