「向いてない仕事」を延々とやって苦しんでいる人がいる。「あ、向いてないかもな」と思ったら頑張ろうとせず転職も視野に入れていいと思う。人はそれぞれ個性がある。向いてない仕事があるということは向いている仕事もあるということ。「石の上にも三年」いる必要はない。どんどん切り替えていこう。
— Ryuta.k (@Rkpb_R) 2021年8月1日
「向いてない仕事」を無理にし続けると感性が徐々に奪われていきます。
「向いてない仕事」を無理にし続けると寿命が縮みます。
意識の高い大学生などから
「サラリーマンになるのは嫌だ、通勤の満員電車で顔が死んでるし、全員同じような顔をしているから」
というようなサラリーマン論を聞くことがあります。
荒削りではあるにせよ、サラリーマンの本質をよく捉えていると思います。
否、サラリーマンの本質と言うよりは
「好きでもないことを惰性でルーティン的にやっている人の本質」
と言うのが正確かもしれません。
大学生の描写するような「同質的な、覇気のない人たち」は、
好きでもない仕事を延々とやった結果、感性が鈍感になってしまい、何が好きなのか何が嫌いなのかもよく分からなくなり、
人生に何を追求していいか分からなくなってしまった人たちの成れの果てです。
彼らにも最初は「あれは好き、これは嫌い」という感覚は現在だったはずなのです。
「この仕事だけはやりたくない」という感覚はあったはずなのです。
しかし、社会的な抑圧や責任、「仕事を投げ出すわけにはいかない」という自負、その他さまざまな事情により
自分の好悪を抑え込み続けていると、
もはや何が好きで、何が嫌いなのかよく分からなくなってしまいます。
そんな「症状」を表象した表情や人相が、大学生たちにとって
「あんな姿にはなりたくない」という半ば恐怖のようなものを呼び起こさせるのかもしれません。
しかしながら、「義務教育→大学→会社員」という一般的レールに何の疑いもなく乗り進んでいると、
必ずや「イキイキとした学生」も「澱んだ大人」になってしまいます。
そういうシステムなのです。
自分の直感をいつでも研ぎ澄ませましょう。
自分の好悪に正直になりましょう。
自分の生理的感情を大切にしましょう。
自分の"ワクワク"に目を向けましょう。
自分の感性を社会的な抑圧より優先させましょう。
日本の、否、資本主義システムの教育制度は何よりも
「同質的な労働者」を作りだすことにフォーカスを当てています。
能力があり、言うことを聞く「同質的な労働者」は、
雇う側にしてみれば非常に便利だからです。
満員電車の「同質的な労働者」は
社会システムにより必然的に生み出されたものなのです。
社会的な責任や我慢はある程度尊重しつつその上で、
それ以上に自分の「好きなこと」「ワクワク」に拘っていくことで、
もしかしたら、「満員電車の人たち」のようになることからは逃れられるかもしれません。