「気が強い人」は本当は自分に自信がない人です。
「気が強い人」は一見強そうに見えます。
私がここ最近ふとした瞬間に見た「気が強い人」は
・電車が遅延していたとき駅のホームで「おいテメーいつになったら電車はくるんだ」と駅員さんに詰め寄っていたおじさん
・女子高生とすれ違い様にぶつかってしまいシカメ面で盛大な舌打ちをしていたおばさん
・横断歩道を渡っているおじいさんに思い切りクラクションをならしていた男性(横断歩道ですよ…?)
・飲食店で、自分が持っているポイントカードが期限切れで使えないからと言って「ふざけるな、どうなってるんだ!経営者を呼べ」と店員に絡んでいた客
このような感じです。
揃いも揃って理不尽な言動をしている人ばかりですし、好戦的です。
一見、自分に自信があって(つまり負けない自信があって)このような言動をとっているのかなと思います。
店員さんなど、立場の低い人相手への言動が目立ちますから
ある意味ではそれも正しいのでしょう。
しかし、見かけ上の「強気な態度」は根本的には心の弱さからきています。
少し何かが触れただけで丸くなり、懸命にトゲで防御しようとするハリネズミのように、
「強気さ」というのは自分の弱さを守る殻の役割を果たしているのです。
少し気に入らないことがあるだけで ーつまり、少し自分が攻撃されたと感じるだけでー 懸命にトゲで相手を攻撃しようとしているのです。
彼らは別に好戦的なわけではありません。
また、自分に自信があるわけでもありません。
彼らの思う「外敵」から身を守るために必死なだけなのです。
彼らの「被害者意識」がそのような身勝手で攻撃的な言動を取らせているだけなのです。
いつも余裕がなく、何かを恐れ、過敏に自身が攻撃されていると感じ、それに対して反撃しようとしているのです。
反射的かつ攻撃的態度は「強さ」ではなく「弱さ」の裏返しなのです。
逆に、真に自分に自信があり、強さの自負があり、余裕がある人はそう簡単に激昂したりはしません。
もちろんそのような人も、その人たちの余裕ある基準から見ても見過ごせないような理不尽な攻撃などにより、
自分の権利が著しく侵害されたと感じたり、物理的に打撃を与えられたと感じたら社会的措置などの相応の反撃をするでしょう。
しかし「心の弱い人」のようにたかが電車の遅延やポイントカードごときで憤慨し、
周囲に当たり散らすようなことはしません。
心が強く、心のキャパシティ(容量)が大きいからこそ「許せる範囲」は広いのです。
余裕の態度は「強さ」が由来なのです。
いつも何かに怯え、いつも周囲を警戒し、いつも自分が攻撃されているという強迫観念に迫られ、いつもハリネズミのように「反撃のトゲ」を構えている…
そんな「心の弱い人」を見ていると、もはや同情心すら起き上がってきます。