読者は「孤独」という二語を見てどんなことを直感するでしょうか。
友達がいなそう
寂しそう
社会不適合者
会社に馴染めなそう
生きるのが辛そう
「孤独」という単語を見てこのような感想を抱く人はきっと少なくないはずです。
一方で私は「孤独」という言葉にはネガティブなイメージは持っていません。
それどころか「孤独」という言葉をポジティブな文脈で使うことの方がむしろ多いのではないかと思っているくらいです。
「孤独」を「寂しそう」「辛そう」と解釈する人にとって
「孤独」をポジティブな文脈で捉えるというのはどういうことなのか一見分かりにくいかもしれません。
しかし、「孤独」は私にとってポジティブな単語なのです。
私が「孤独」をプラスの意味で解釈している背景には、
私が「成長」を人生の主要項目として掲げていることがあります。
「できれば一生成長し続けたいな」と考えている人間にとって、
「孤独」は切っても切り離せないものです。
「成長」は「孤独」無しには成り立ちません。
「孤独」だからこそ人は「成長」できます。
人は「孤独」なときにしか真に自分と向き合うことはできません。
社会生活でノイズに囲まれていては、
人々に囲まれ流されるように慌ただしい毎日をおくっていては、
自分の根底にある思念を発掘し向き合うのは至難の業です。
静かな環境で、静かに佇んでいることではじめて自分というものが浮かび上がってくるのです。
「孤独」こそが自分を自分へと向き合わせるのです。
「孤独」でいれば意図せずとも
「自分はどうありたいのだろう」
「自分は何を求めているのだろう」
「そもそも自分とはなんなんだろう」
「自分は何のために生かされているのだろう」
「自分の使命は何なのだろう」
このような極めて本質的な自問が湧き上がってきます。
それらに応答するのはきっと簡単なことではないでしょう。
「自分は何のために生かされているのか」
こんな質問に即答できる人は極めて少ないはずです。
しかし孤独のうちに四苦八苦し、
自分の使命-本質のようなものを根まで考え、
悩みぬくことによりそこに新たな自分が姿を現します。
「成長」の前提となる「自己のほんとう(本質)」を見出すには「孤独」が不可欠なのです。
それはもしかしたら「成長し続ける」ためには
「孤独でい続ける」ことをも、ある意味では、意味するのかもしれません。
もちろんここで言っているのは
「仲間との縁を切れ」だとか「社会と断絶して出家せよ」というような極端なことではありません。
「一生成長し続けたい人」にとって「孤独」は必要にして不可欠な時間であり、
決してネガティブな意味合いを持つものではないということを言いたいのです。