Ryuta.K【公式ブログ】

【自己肯定と心理学】【パートナーシップとライフワーク】文筆家です。ブログではnoteやRKサロンのコンテンツを一部公開しています。

「悪口の運び屋」にならない

 

 

 

「人間だから悪口や愚痴がついこぼれてしまうのは百歩譲って仕方のないこともある。でも、悪口の運び屋にだけは死んでもなるな。」

 

 

 

 

 

私のメンターのひとりに言われた言葉です。

 

 

 

 

以来、「悪口を言わない」のはもちろん、
「悪口の運び屋には絶対にならない」というのは私の人生を通して徹底されていると自負しています。

 

 

 

「悪口」はもちろん良くないです。

「悪口」は「陰口」として本人のいないところで為されるのがほとんどでしょう。

卑怯だし、みっともないことだと思います。

 

 

でも、「本人のいないところで為されている」のでしたら少なくとも本人の耳には入っていないわけです。

 

 

 

 

 

同僚同士のAさんとBさんがいるとします。

 

AさんがBさんの悪口を陰で言っているとして、
でもAさんとBさんは表面的には仲良くしている。普通に働いている。

数年の歳月を経て、AさんかBさんのどちらかが転職などで退職する。

以降、AさんとBさんの接点が一切なくなり、Aさんの「悪口」は、少なくともBさんを傷つけることなく墓場まで持ち込まれることになる。

 

 

 

上記のシチュエーションは「あるある」まではいかずとも、
「まぁ、ありがちな例」もしくは「無くは無い例」のように思われます。

 

Aさんが悪口を言ったという事実は変えがたく、
それは良くないことに違いありませんが、それをBさんは知りません。

 

 

 

 

 

 

しかしここで「悪口の運び屋」としてCさんが出てきたらどうなるでしょうか。

 

つまり「Aさんがあなたについて○○(悪口)だと言っていたよ」とBさんに伝えてしまうわけです。

 

 

 

 

まずここでAさんとBさんの関係は決定的に壊滅します。

 

「悪口」の内容によってはBさんがAさんに対して報復に出るかもしれません。

 

職場を巻き込んで大きな騒動になるかもしれません。

 

悪口を言われたBさんが精神を病んで退職に追い込まれてしまうかもしれません。

 

Bさんの家族、その周囲の人生に多大な影響を与えてしまうかもしれません。

 

 

 

 

ことの発端は確実にAさんです。

Aさんが悪口を放ったのが原因です。

見方によってはCさんは悪いことはしていないかもしれません。

Cさんの心の内の「正義感」のようなものが働き、「Bさんに伝えなきゃ!」と思ったのかもしれません。

 

 

しかし、Cさんが「悪口の運び屋」としてBさんにAさんの悪口を知らしめたことにより、
それぞれの方向に多大な現実的被害が発生する可能性が高まるのは事実です。

 

 

 

 

私は「誰かから出てきてしまった悪口」はもう仕方のないものと捉え(過去は変えられませんし、悪口を無かったことにはできません)、
悪口をそれ以上拡散させないのがその場にいる人々が取るべきアクションなのだろうと思っています。

 

 

 

もちろん「悪口が発生したらそれを伝えてあげるのが正義だろう」というCさんのような価値観の人もいるのだと思います。

 

面白がって雑談気分で悪口を拡散させるのは論外ですが、
内なる正義的動機で「悪口を伝えなきゃ」という気持ちを持つ人もいることでしょう。

 

 

 

しかし私はそのような価値観には与しません。

 

「悪口の運び屋」はコミュニティのトラブルメーカーであり、
あらゆる人を不幸にさせる天才だとすら思っています。

 

 

 

 

 

「悪口を言う人は悪だが、悪口の運び屋はそれ以上の悪である」

 

 

 

私の師がくれた言葉は正しいに違いないと、歳を追うごとに確信を深めています。