「みんなに全力で接する」のはもうやめよう。優しい人は全員に良い顔をしてしまい、結局疲れすぎて自滅してしまう。人間関係もメリハリが大切だと思う。「あの人には120%のエネルギーで接するけど、この人には30%ぐらいでいいや」というやり方で何の問題もない。人間関係は狭く深くが1番だ。
— Ryuta.k (@Rkpb_R) 2021年11月4日
「皆と仲良くすべき」というのは綺麗事であり、社交辞令的な建前です。
優秀な人は、人から憎まれたり人間関係に角を立てることを嫌うので
表向きは「人々を平等に扱うことは大切だ」という顔をしているでしょう。
しかし、きっと本音は違います。
もちろん社会的権利として人々が平等であることは言うまでもない前提ですが、
個人個人の好悪や「誰と関わるか」レベルでは「平等」は成り立ちません。
砕いて言えば「あいつは好きだから深く関わりたい、あいつはなんか好きじゃないからできるだけ遠ざけておきたい」
ということをするのはほとんどの人にとって当たり前でしょう。
コロナ禍のピークを経て、生活様式やビジネスの様式はずいぶんと変わりました。
もちろんコロナ・パンデミックは忌むべきことでしたが、
負の遺産とともに正の遺産も残していったのだろうと私は考えています。
そのひとつがzoomに代表されるオンライン・コミュニケーションの一般化です。
zoomの一般化により、これまでの「アナログで会う」「電話で済ませる」「メール/ラインで済ませる」という3タイプのコミュニケーションに
「オンラインで話す」というオプションが加わりました。
①「あの人とは直接会いたい」
②「あの人は電話で済ませよう」
③「あの人はメールでいいや」
この3つの①と②の間に、
「あの人とはオンラインで話そう」が加わったわけです。
これにより、「アナログで会う」の価値/貴重さが何倍も増したことは言うまでもありません。
まず、ビジネスでもビジネス以外でも、
初対面の人同士はまずzoomで接する機会が多くなったはずです。
そこでお互いにお互いを振るいにかけあい、どちらかが「この人とはアナログで会うまでもない」と判断すれば
わざわざ喫茶店で会うなどをするまでもなく関係が終了するでしょう。
(もちろんzoom、メールなどでの関係だけを続けるという手もあります。)
また、すでにリアルで知り合っている人同士でもどちらかが「あの人とのミーティングはわざわざ会うまでもない」と判断すれば
zoomでのコミュニケーションがとられることになるでしょう。
さらに、ビジネスなどで「zoomで会話するのすら時間の無駄だ」と思われた場合はメールでのやりとりで完結させられてしまうでしょう。
意識する意識しないに関わらず、
人々はそれぞれ評価し合い、
人々はそれぞれに関係性上の優劣をつけあい、
人々はそれぞれに「自分の好きな人」とより親密なコミュニケーションをとります。
「皆に平等に接する」などということは無理なのです。
無理だし、生物として不自然だし、そんなことをしていたら時間などのリソースがいくらあっても足りません。
コロナ・ショックで有無を言わさずオンライン・コミュニケーションシステムができあがり、
有無を言わさず「うーん、この人はzoomでいいや。だけどあの人とはリアルで会おう」
と考える余地ができたことは大変好ましいことだと私は考えています。
コロナの正の遺産としてのzoomは、
人々の「狭く深い人間関係」を助けてくれるツールだと思うのは私だけではないはずです。