Ryuta.k【公式ブログ】

文筆家。起業家。読書家。早稲田大学中退後、マーケティングとライティングのスキルをバックボーンにキャリアスクール事業や広告系事業を営んできました。今はフリーランスとして自由に楽しく働いてるアラサーです。型にはまらない特異な経歴と1万冊以上の読書経験から得た知恵をもとに「人生と考え方」「パートナーシップ」「ビジネス」「哲学」「心理学」「脳科学」「教養」「読書術」など多分野にわたり発信しています。

考える生き物としての人間

 

 

 

 

 

 

今の時代の人に失われてしまっているのは、
「空白の時間」だと思うことがあります。

 

 

 

 

 

 

「空白の時間を失う、というのはなんて変な表現なんだ」と思う人もきっといるでしょう。

「空白」なのだからそれは失うようなものではないはずだ、と思う人もいるでしょう。

 

 

 

しかしそれは、「空白」は、きっと失われつつあるのです。

これは思弁的哲学的な話ではなく、もっと実際的な話です。

 

 

人々から、何もせず自分と向き合う時間があまりにも削り取られてしまっているのではないかと感じるのです。

 

 

 

 

 

我々の手の近くには、いつでも気軽に情報にアクセスできる(というか、半強制的に情報のシャワーを浴びさせる)スマホがあります。

 

 

 

ひとたびスマホを開けば主にLINEで大量の未読メッセージがあります。

グループLINEは常に流れ行き、仲間の話についていき輪に入るためには定期的な確認が必要です。

 

LINEの通知がひと段落すると、今度はSNSがあります。

主要なものだけでもTwitter、Instagram、Facebook、TikTokがあります。

各々のアプリで常にフィードが更新され続け、それは一日中でも見ていられるものです。

 

覗いていたわけではなく満員電車で不可抗力的に目に入ってきてしまったのですが、
大学生のような男性はその満員電車の中で次から次へとSNSを渡り歩き新着のフィードをチェックしていました。

Twitterで通知がなければインスタへ、インスタでストーリーをひと通り見終わったらTikTokへ、そしてまたTwitterへ、さらにFacebookへ…
以上を最寄り駅に着くまで(もしくは最寄り駅に着いた後も歩きながら)ぐるぐる繰り返すという具合です。

 

当たり前のような光景ですがもしその光景をスマホがない時代の脳神経研究者などが見たとしたら、
間違いなく「この男性は何らかの中毒症状に陥っているに違いない」と結論することでしょう。

 

メッセージとSNSが落ち着いても、さらにYouTubeがあります。

YouTubeの長くても10分程度の動画たちもまた、人から多量の時間を奪い、丸一日を浪費させてしまうようなものです。

 

 

 

 

 

スマホとの縁が切っても切れないこの時代、
じっくり腰をすえて自分を観察し、
自分の過去や現在や未来について深く考察し、
自己と対話するという行為は思いきり「意識」しないとできないものです。

 

 

私たちは思いきり「意識」しないとぼんやりとした、スローな空白の時間が取れなくなってしまったのかもしれません。

 

 

 

 

ぼんやりとしたスローな空白の時間は
さまざまなことを立ち止まりじっくりと考えることができる「人間」という生物の得難い特権のひとつだと思います。

 

空白の時間がないということはつまり、
刺激と反応と瞬発で生きてしまっているということと近いでしょう。

 

 

 

 

言ってしまえば「刺激と反応と瞬発で生きる」のは特に人間でなくともできるような気がしてならないのです。