覚えておいて欲しいこと。この世には「つらい時や悲しい時」に1人になりたい人と、皆と話したい人の二種類がいる。「あの人は悲しそうだから声をかけてあげよう」というのは必ずしも正解ではない。もしかしたら「大きなお世話」かもしれない。孤独を大切にしたい人の「孤独」を邪魔しないように。
— Ryuta.k (@Rkpb_R) 2021年11月7日
「あの人は独りぼっちで可哀想だから輪にいれてあげよう」という優しい考えが浮かんだとき、
是非数秒だけ立ち止まってみてください。
数秒だけ立ち止まって、
「果たして独りでいる人は本当に可哀想なのだろうか」
「独りでいる人は本当に寂しいのだろうか」
「独りでいる人は本当に"輪"を求めているのだろうか」
と考えてみてください。
もしかしたら独りでいる人は「独りでいたい人」なのかもしれません。
私自身、非常に内向的だからこそよく分かるのですが、
内向的な人は独りでいるときにしかエネルギーの充電ができません。
内向的な人にとって「独りの時間」は癒しであり、娯楽であり、充電の時間なのです。
そういった人は、独りの時間に明日のエネルギーを蓄えます。
そういった人は、独りの時間に自分を高めようとします。
そういった人は、独りの時間を養分として成長していきます。
そういった人は、独りの時間に自分と対話します。
そういった人は、独りの時間がないと誇張でもなんでもなく病んでしまうのです。
もちろん「内向的」だからといって人との関わりを拒絶したりだとか、
出家して孤独に修行をしたがるというわけではありません。
内向的な人も楽しく知人、友人や社会と関わることができますし、
「人と関わるのが大好きだ」「チームで仕事をするのが大好きだ」という内向的な人はたくさんいます。
しかしながら、ツイートにもある通り、
「凹んだ時にはまず独りになりたい」と考える人にとって
「独りになれない」のは拷問のようなものなのです。
外向的で心優しい人にとっては
「悲しい時に独りになりたいだなんてきっと無理してるに違いない!凹んだ時こそ仲間とワイワイやるべきだ!」と感じることでしょう。
でも、心と身体のシステム上、
「独りの時間にこそ立ち直り、そして元気になれる人もいる」
ということは是非知っておいてください。