「そんなことも知らないの?」と言われて
「嬉しくて幸せでしょうがない」と言う人はおそらくいないでしょう。
多くの人は「そんなことも知らないの?」と言われたら恥ずかしいでしょうし、
思わず無知な自分を否定したくなってしまうと思いますし、
周りの人は色々なことを知っているのに何も知らない自分は教養のカケラもない…と感じてしまうはずです。
今ではTwitter、ブログやnoteで教養についての発信や勉強、読書についての発信をしている私ですが、
ここだけの話、昔は自分の「知識教養の無さ」がコンプレックスでした。
昔から、良い意味でも悪い意味でも物事を「ストレートに言う」人に囲まれていたこともあり、
「そんなことも知らないの?」と煽られたことは一度や二度ではありません。
その度に恥ずかしかったし、非常に悔しい思いをしました。
しかし今では、私に「そんなことも知らないの?」と言ってきた人々に感謝しています。
なぜなら、「そんなことも知らないの?」と言われたおかげで勉強熱がブーストされたからです。
博学な人が知的な会話をしていて、
それについていけない自分を認識するたびに私の「勉強熱」は高まっていきました。
「そんなことも知らないの?」と言われないために、
10年前からYahoo!ニュースを1日2回チェックするのが毎日の日課になりました。
「そんなことも知らないの?」と言われないために、
もともと好きだった自己啓発書や小説の読書に加え、政治や歴史や哲学、文化、生物学、物理学の本格的な勉強を社会人になってから始めました。
「そんなことも知らないの?」と言われないために、
毎日の豊富な読書とアウトプットが日課になりました。
時がたち、今では他者目線を気にしての知的プライドというか
「馬鹿にされないために頑張るぞ!」というような気持ちはそれほどありません。
もちろん今でも勉強は続けていますし、読書時間は1日3時間を切ることはありません。
しかしそれはあくまでも自分の知的好奇心のためであり、
人の目線を気にしてということではありません。
私自身も、今の私の「あり方」と言いますか、
「人の目線を気にしての勉強」ではなく「真に自分自身のために勉強」していることについては誇りを持っています。
しかし、繰り返しますが社会人になってからの猛勉強のきっかけは、確かに人々からの「そんなことも知らないの?」でした。
「そんなことも知らない?」と言われたら当然恥ずかしいかもしれませんし、
思わず自己否定感を持ってしまうかもしれません。
しかし是非、その強い感情を起爆剤にして勉強・読書を習慣にしてみてください。
勉強習慣が根付いたのち、気づいたら「博学」になれているはずです。
馬鹿にされた時こそ、自分を高める絶好のチャンスだとも言えるのです。