https://twitter.com/Rkpb_R/status/1464795387198251009
「自己肯定感」と「プライド」は両方とも「自信」に近いニュアンスを持っており、
一見似ているワードですがその内実は大きく違います。
「正反対」だとすら言えます。
ツイートにあるとおり、「自己肯定感の高さ」とは「ありのままの自分を認められている度合いの高さ」だと言えるでしょう。
「ありのまま」というところがキーポイントで、「もちろん成功できたり目的を達成できたら嬉しいけど、失敗したり目的を達成できなくても自分の価値は決して傷つかないんだよ」
ということを腹に落とし込めているのが「自己肯定感の高い人」です。
物事が上手くいこうが、物事が上手くいくまいが、自分の根本的な価値には何の関係もない。
自分の根本的な価値はどんな外的な事象(成功や失敗など)によっても傷つかない。
これを悟れているのが「自己肯定感の高い人」なのですね。
もちろん、自己肯定感の高い人だって人間ですから、ネガティブな気持ちになることはあります。
しかし、「ネガティブな自分」すら認めているのが自己肯定感の高い人なので、
ネガティブになったからと言って決して自分の価値を強く否定したり、自暴自棄になったりはしません。
一方、「プライドの高い人」とは物事の優劣と自己の優劣を切り離せていない人のことです。
例えば「仕事で上手くいく=仕事で上手くいくということは価値の高いこと=よって自分の価値も高い」という考え方だったり、
「異性からチヤホヤされない=異性からチヤホヤされないのは価値の低いこと=よって自分の価値は低い」という考え方がそれにあたります。
簡単に想像できると思いますが、プライドが高い人の人生は「振り回され続ける人生」です。
仕事の優劣で自分の優劣を定めてしまっている「プライドが高い人」は一生仕事に振り回されます。
卒業大学の優劣で自分の優劣を定めてしまっている「プライドが高い人」は一生卒業大学に振り回されます。
容姿の優劣で自分の優劣を定めてしまっている「プライドが高い人」は一生自分の容姿に振り回されます。
恋愛の優劣で自分の優劣を定めてしまっている「プライドが高い人」は一生恋愛に振り回されます。
プライドの高い人にとって自分がある分野(仕事や恋愛など)で破れたとき、それは自分自身の価値喪失をも意味します。
プライドの高い人は、世界を「どっちが優れている?どっちが劣っている?」の戦場と捉えているとも言えるでしょう。
なお、ここで私は「自己肯定感の高い人の人生が優れていて、プライドが高い人の人生は劣っている」
ということを言いたいわけではありません。
どちらの人生も各人がそれぞれ選択するものであり、決して否定されるべきではないでしょう。
ただ、私が「幸せで生きやすそうだな」と思うのは「自己肯定感の高い人」です。
そして、私もそういった自己肯定感の高い人間であり続けたいと、常々思っています。