「働きすぎる人」は潜在意識下に強力な自分への否定や「無価値感」を抱えていることが多いものです。
「自己否定」については何となくイメージがわく人も多いかと思いますが、
「無価値感」とはどういった概念なのでしょうか。
そしてどうしてその「無価値感」がハードワークに繋がってしまうのでしょうか。
本日はそのあたりを紐解いていきたいと思います。
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「無価値感」は心理学の用語のひとつでして、
「ありのまま自分への自分への価値が感じられない、心にポッカリと穴が空いたような状態」とよく表現されます。
「自分には愛される価値がない」という思い込み
「自分には評価されるべきところがない」という思い込み
「自分には人間的魅力がない」という思い込み
「自分には人に与えられるモノがない」という思い込み
「自分には欠けているところだらけだ」という思い込み
「ありのままの自分でいては人が離れていってしまう」という思い込み
「無価値感」のイメージをざっくりと表すのであればこのような感じになるでしょうか。
そしてこの「無価値感」を形作る要因なのですが、
これは幼少期〜思春期の親子関係や思春期の大きな傷などが原因であることが多いです。
分かりやすいところで言えば、たとえば親が過干渉である場合などは非常に無価値観を抱えやすいと思います。
「何を言っても親に否定される」
「どう行動しても親に無理やり軌道修正させられる」
「親に感情的におさえつけられていた」
このような場合、親の愛情を得なければ生きていくことができないか弱い子供は当然、
「自分の意思で行動することは良くないことなんだ」
「親に愛されるためには自分というものを封印しなきゃいけないんだ」
こういった感情を抱えることになり、「ありのままの自分」を否定し凍結するようになります。
そして成人以降も、「自分の判断や選択には価値がない。もっと言えば自分になんて価値がない」と強い自己否定を抱えてしまうようになるのですね。
過干渉な親は非常に分かりやすい例であり、いわゆる「毒親」なんて言われたりしますが、
そこまで過激ではなくても普通の親が当たり前のように子供に対して向ける「期待」からも無価値感は生まれてきます。
たとえば「お兄ちゃんなんだから(お姉ちゃんなんだから)下の子には優しくしなきゃダメよ」という期待をかけられ、
その期待に答えた結果「偉いね」と褒められた子は「期待に答える→愛をもらえる」という図式を学びます。
また、たとえば「あなたは頭が良いからテストでいつも良い点をとってくるわね」という期待をかけられ、
実際に好成績を残すような子は親からの承認を得るために期待に答えようとしているのです。
ここにも「期待に答える→愛をもらえる」という図式があります。
親に期待をかけられ、期待に答えることにより愛情を獲得するという思考パターンを得た子は、
成人になってもそのパターンを踏襲するようになります。
すなわち、「なんらかの目に見える成績や実績を残さなきゃダメだ」「期待に答えなきゃ人に愛されない」という思考回路…「無価値感」を抱くようになるのです。
「自分には愛される価値がない…だから愛されるために頑張らなくてはならない」
「自分には評価されるべきところがない…だから認められるために必死にならなくてはならない」
「ありのままの自分でいては人が離れていってしまう…だから好成績をあげ年収を上げ自分を武装しなくてはならない」
働きすぎてしまう人
無理をしすぎてしまう人
ハードワークしがちな人
このような人たちの深層には「頑張らなくては愛されない」という無価値感があるのですね。
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私は「ありのままの自分を認めて生きよう」という自己肯定感関連の発信をよくしていますが、
無価値感は「自己肯定感の低さ」の象徴のような感情です。
頑張らなくてはいけない(頑張らなくては自分は無価値)
必死にならなくてはいけない(必死にならなくては自分は無価値)
努力し続けなければいけない(努力しなければ自分は無価値)
格好良くあり続けなければいけない(格好悪くては自分は無価値)
期待に答え続けなければいけない(期待に答えられなければ自分は無価値)
人に認められ続けなければいけない(人に認められなければ自分は無価値)
心にぽっかりと虚しく空いた無価値感が人をハードワークへと向かわせます。
その空洞の穴埋めをするために必死に社内でのポジションや、年収や、キラキラした生活や、異性からの目線や、人からの承認を得ようとしているのです。
無理して働きがちな人の中には「ハードワークをしなければ自分に価値がない」という無価値感を自覚している人もいるかもしれませんが、
それを自覚できていないハードワーカーがほとんどです。
もしあなたが働きすぎているのであれば、頑張りすぎているのであれば、必死すぎるのであれば、
心の奥底のドーナツのような穴、すなわち「無価値感」が存在してないか見つめてみてください。
無価値感についてはあまり記事を書いてこなかったので、
今後は少しずつその解決策なども含めて書いていけたらなと思います。