自分の強みも弱さもまるまる受け入れてあげることが「自己肯定感を上げる」ということです。
強い部分はもちろん、弱い部分や欠点も受け入れて愛してあげる習慣を作ることで自己肯定感が上がり、格段に生きやすくなってきます。
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「強みや長所を受け入れる」というのはなんとなく分かる人も多いと思います。
例えば人から褒められたことだったりとか、優れた成績を残せたことだったりとか、経験的に自信があることだったりとか、「よくできる」と自負してることですね。
こういったことについてはさほど抵抗なく受け入れられると思うんです。
(無価値感や自己否定が強すぎて客観的に見た自分の長所すら受け入れられない人もいますが、複雑になるのでこのあたりは他の記事に譲ります。)
多くの人が苦手としていることは「自分の弱さ」をまるまる受け入れるということですね。
日本を含む競争社会で育った人は自分の弱点、劣等な部分、恥、もろさ、ダメなところ、失敗などを受け入れることが概して苦手だと思います。
どんな自分も肯定するということが皆さんとても苦手なんですね。
例えばコミュニケーションが苦手で会話にコンプレックスをもっている人がいるとします。
その人は「もっと周りの人のように気の利いたジョークや面白い返し、オチのある会話とかができるようになれればな」と思っているのですが、実際に人を相手にすると生まれもった口下手さが出てきてしまうわけです。
そして会話が終わって家に帰ったあと、「あの時はあーいうことを言えばよかった。あのタイミングでこういうことも言えたはずだ。なんてダメなんだ。」という感じで反省という名の自己攻撃が始まってしまうわけなのですね。
標準的な日本人の基準では「コミュニケーションが上手くて面白いことが言えたり皆と仲良くできることは素晴らしいこと」という観念があると思います。
そんな「標準的な基準」を自分に当てはめた際に、上の例の人のように、
「自分はきっと不合格点だ」
「もっと上手に会話ができればいいのに」
「もっと面白いことが言えればいいのに」
「もっと場を楽しませられたらいいのに」
「もっと気の利いたことを言えたらいいのに」
「もっとコミュニケーションが上手くなれたらいいのに」
こんな自己否定をしてしまう人はきっと少なくないはずです。
これは「コミュニケーションが良くできるべき」という社会的、日本的、世間的、空気的な基準を自分に当てはめて自分を否定している。
つまり「コミュニケーションにおける自己肯定をできていない、自己肯定感が低い」と言えます。
そのように自己肯定感が低ければコミュニケーションの場にいくたびに「もっとできなければダメだ」「ちゃんと話さなきゃいけない」という自分へのダメ出しを無意識的もしくは意識的に繰り返してしまうでしょう。
…これって、けっこうしんどいですよね?
「自己肯定感が低いとしんどい」
「自己肯定感が低いと生きにくい」
「自己肯定感が低いと振り回される」
そんなふうによく言われますが、それは何でかと言えば自分が自分への攻撃を常にしてしまいがちになるからなんです。
少し深い話をすれば、自分と24時間365日、一生一緒にいる人こそが「自分」です。
そんな自分に「お前はダメなやつだ」「お前には価値がない」なんて四六時中ダメ出しや否定をされていればしんどいに決まっているのですね。
だからこそ、「自己肯定感を上げていこうぜ」「自分の弱さや脆さや恥ずかしい部分も愛していこうぜ」という話になってくるわけです。
上の例えで言うならば、
コミュニケーション下手だっていいじゃないか
口下手だっていいじゃないか
それでも仲良くしてくれる人と付き合えばいいじゃないか
口下手なのにいつも頑張ってる自分偉いじゃないか
大勢の場なら盛り上げ上手な人に任せればいいじゃないか
少人数の場なら聞き手に回ればいいじゃないか
話が下手だってテンポが悪くたって自分はそのままの自分で素晴らしいよ
こんなふうに、ありのままの自分を認めて受け入れて愛してあげましょう。
ありのままの自分を認めるのは最初は大変な作業です。
なんと言っても、義務教育や社会生活で「優れた部分を認め、劣ってる部分を否定する」そんな習慣がついていますからね。
でも少しずつ、リハビリのように、「自分の劣っている部分をも愛してあげる」ということを繰り返していくうちに、
気づけば自己肯定感は上がっているものなのです。