「なんか無理」の感情に素直になろう。優しい人は「この人なんか無理」と思ったとしても付き合い続けてしまうし、「この仕事なんか無理」と思ったとしても働き続けてしまう。「なんか無理」と思い続けながら人付き合いを続けたり働き続けると確実に寿命が縮む。自分の感情に素直に生きていいと思う。
— Ryuta.k (@Rkpb_R) 2022年2月9日
先日の、このツイートについて質問をいただきました。
このツイートにあるように私も仕事、人間関係やっていきたいと思うのですが、
罪悪感を抱いてしまいそうで、もう少し我慢すべきなのではないか。とずるずるここ数年なんか無理な気持ちを抑えて生きております。。この罪悪感と共に後悔するのも怖いのかもしれないな、とも思ってます。
それでも、本当になんか無理、な時は、
決断をしてしまってもよいでしょうか。
罪悪感を無くす考え方などあれば、
教えて頂きたいです。。お忙しい中申し訳ございません
お手隙の際にアドバイス頂きたいです
今日はこの質問に回答する形で書いていきたいと思います。
このツイートにあるように私も仕事、人間関係やっていきたいと思うのですが、
罪悪感を抱いてしまいそうで、もう少し我慢すべきなのではないか。とずるずるここ数年なんか無理な気持ちを抑えて生きております。。
自分のなかの「なんか無理」という感情に素直になりたいんだけど、そうは言っても罪悪感などの感情に邪魔されてしまうという問題ですね。
ここで質問者さんが素晴らしいのは、まず自分の中の「罪悪感」という感情を客観視できている点ですよね。
常にブログで書いているとおり、自分の中の感情を客観的にみて、それの言語化ができていればできているほどその感情の処理は行いやすくなります。
「感情をありのままに見る」という考え方ですね。
ここで質問者さんはわけの分からない感情にぶぶん振り回されているわけではなく、
自分の中のネガティブなイメージを「罪悪感」としてとらえることができています。
きっと自分自身とよく向き合っている方なんでしょう。
ここ数年「なんか無理」な気持ちを抑えて生きております。。
この罪悪感と共に後悔するのも怖いのかもしれないな、とも思ってます。
自分の中の「(対人関係などでの)なんか無理」を押し通してしまうと、
例えば相手を突き放してしまうことになったり、相手を傷つけてしまうのではないかという「罪悪感」を抱えているという解釈で話を進めさせていただきます。
「自分の振る舞いにより人を傷つけてしまうのではないか」
「自分が好きに振る舞うことにより相手を不快にさせるのではないか」
「自分本位では周囲に迷惑をかけるのではないか」
こんな意識を「罪悪感」という風に感じているのかもしれませんが、
ここでは罪悪感の感情よりも「他人軸な自分」にフォーカスを当ててみるのが良い気がしています。
つまり、
「なんか無理」という感情に素直になったとする
↓
相手を傷つけたり不快にさせる(罪悪感)
↓
その相手から自分がどう思われるか分からず、自分が傷つくことに不安を感じている(他人軸)
こういった視点です。
こう見てみると、「相手を傷つけたり不快にすることに対して罪悪感を覚える」というよりは「相手を傷つけたり不快にさせたその先に自分がどう思われるかが怖い」という図式が浮かび上がってきます。
「相手が傷つくのではないか」ということを心配しているように見えて、「相手にどう思われるか(自分が傷つくのではないか)」を気にしているのですね。
これは真面目な人、優秀な人、気の利く人、優しい人によくあるパターンでして、
「相手が傷つくのではないか」「相手が不快になるのではないか」「相手がこう思うのではないか」ということを察せすぎるあまり自分が疲弊し、心的に削られてしまっているわけです。
もちろんビジネスや恋愛、日常生活で「相手の気持ちを察することができる」のはものすごい強みなのですが、
反面、質問者さんのように「他人軸」状態になってしまうと反動パンチというか、その強力な「お察し力」に自分自身が振り回されてしまいます。
それでも、本当になんか無理、な時は、
決断をしてしまってもよいでしょうか。
罪悪感を無くす考え方などあれば、
教えて頂きたいです。。
「本当に無理!」という時はもちろん可能なら絶縁などの決断をすることも考えていいですし、
職場関係など社会的な制約があるなら右から左へ受け流すような表面的な関係を作っていくべきでしょう。
そしておそらく、さらに質問者さんにとって大切なのは、
「相手に○○だと思われるから」
「相手が傷つくから」
「相手が悲しむから」
「相手をイラつかせるから」
「相手が不快に思うから」
このような、言わば相手本位の「相手軸」から抜け出し自分本位の判断と選択をしていくことだと思います。
「自分はこうしたい」
「自分はあーしたい」
「自分はこう生きたい」
「自分はこういう決断をしたい」
「自分はこういう人と付き合いたい」
「自分はこう働きたい」
「自分はこう動きたい」
「自分は…」
「自分は…」
「自分は…」
このように、相手や他人ではなく自分を主語にして動いていくことを「自分軸」と言いますが、是非これを意識してみて欲しいです。
書いてきたように、質問者さんの罪悪感は「相手が〜」というように相手を主語にしているがゆえにモヤモヤと発生してくるものなのだと思います。
常日頃から、「自分はどうしたいのか」「自分はどういう選択をしたいのか」にもっともっとフォーカスしていくことにより、ふっと罪悪感も手離れしていくでしょうし、心が軽くなることでしょう。
参考記事もいくつか置いておきますね。