日頃より「自分軸で生きよう」という発信をしています。
そんな中で「何がなんでも自分のやりたいことを貫き通すのが自分軸なんですか?」「いつもワガママであることが自分軸なんでしょうか?」という質問をいただくことがたまにあります。
結論から言えば、「何が何でも自分のやりたいことを貫き通すということ」を本音で、本当に"やりたい"のであればそれは自分軸です。
一方で、「自分軸でいなきゃ」という強制感、義務感からそれを行うのであればそれは自分軸ではありません。
それは完璧主義、理想主義とも言えるもので、むしろ他人軸に近い態度です。
「自分がやりたいこと」と「他人のためにやりたいこと」を天秤にかけた時に、「他人のためになりたい!」と思うことってきっとあると思うんです。
それなのに「自分軸でいなきゃ!」ということでわざわざ「他人のため」を封じ込めてしまうのは本末転倒な感じがしますよね。
例えば、友達から「ちょっと相談したいことあるんだけど話せない?もしかしたら結構長くなるかもなんだけど…」とLINEがきたとします。
あなたには「自分の時間が削がれるから」ということで断る選択と、「友人のためなら」ということで相談に乗る選択があるでしょう。
ここで自分軸という概念を歪めて解釈してしまうと、
本音では相談に乗ってあげたいなと思っているのに「いや、それは他人のために自分の数時間を犠牲にしてるのだ。」というようになってしまい、半ば無理をして相談を断るという事態になるでしょう。
果たしてこれは自分軸だと言えるのしょうか。
単に「自分の都合を突き通す」ということに執着してしまっていないでしょうか。
自分軸であるということは、「自分のためにも動けるし、他人のためにも動ける」という選択を持てているということです。
逆に他人軸になってしまっている人は「自分のため」という選択肢がなく、いつも他人に忖度してしまっています。
また、上で述べたように「自分のため」に執着して超自己中心的になってしまっているのも自分軸とは遠い姿です。
自分軸で動けるようになると余裕ができ、受け身ではなくあくまで主体的な姿勢で「時には自分を優先し、時には相手を優先する」ということができるようになります。
他人より自分を優先するという姿勢は言うまでもなく大切ですが、
あなたがやりたいのであれば能動的に相手を優先してみる、相手に与えるということもまた大切なのです。
自分優先、他人優先…どちらにせよ、あくまでも自分の本音に従った行動であれば正解なのです。