生きにくさを感じている人に共通しているのは「〜してくれるはず」という依存的期待をベースに生きていることです。
仕事では「上司は私を正当に評価してくれるはず」という依存的期待をしています。
恋愛では「彼女はこのデートプランで喜んでくれるはず」という依存的期待をしています(男性ver.)
または、「彼氏は私の誕生日や記念日に素敵なデートを考えてくれるはず」という依存的期待をしています(女性ver.)
もしくは人間関係において、「あの人は私の頑張りを認めてくれるはず」という依存的期待をしています。
断言しますが依存的な期待をして良いことはありません。
まず、依存的期待はだいたい裏切られる運命にあります。「記念日には素敵なデートやプレゼントをくれるよね?」という多くの女性の期待は悲しいかなガッカリに終わります。期待は裏切られれば失望に繋がります。
そして、その期待が仮に叶えられたとしても得れるものは「喜び」というよりは「束の間の安心」です。
その束の間の安心の後にはさらなる依存的期待がやってきます。
記念日に良いデートができたとしても、「じゃあ誕生日は?」「じゃあクリスマスは?」「じゃあ年末年始は?」と、あらたなる依存的期待の波がやってきます。
さらに、依存的期待をしている時ってポジティブな気持ちになれないことがほとんどです。
どちらかと言えば胃がキリキリしたり、歯ぎしりをしたくなったり、「こーじゃなかったらどうしよう」「あーじゃなかったらどうしよう」という不安に苛まれていることが多いと思います。
先ほどの例で言えば「記念日に何ももらえなかったらどうしよう」「実は愛されてなかったらどうしよう」などですね。
依存的期待って、それが叶ったら束の間の安心を得られるだけでして、
その期待をし続けている時間も何か苦しくてストレスがかかり続けますし、まぁだいたいの場合は裏切られますし、それでいて裏切られた場合の失望感はとてつもないという代物なんです。
正直言って割に合いません。
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「期待は怖れベース、ビジョンはワクワクベース」という有名な言葉があります。
期待って述べてきたように裏切られることも多いしストレスもかかるしで割に合わないので、そうじゃなくて「ビジョンを描いていこうよ!」ということですね。
…と言われても「ビジョンってなんなん意識高い系じゃあるまいし」って思う方も多いと思うので、ビジョンという言葉に馴染みが薄ければ「ポジティブな展望」と言い換えても大丈夫です。
具体的には「○○してもらえなかったらどうしよう(依存的期待)」ではなく、「○○してくれたら最高!」という表現を日常使いしていこうよということなのですね。
「あーじゃなかったらどうしよう」「こーじゃなかったらどうしよう」という怖れではなく「あんな風になったら最高!」「こんな風になったら最高!」というワクワクを感じていきましょうということです。
これの何が素晴らしいかと言うと、まず願いがびっくりするほど叶いやすくなります。
心理学で言う「引き寄せの法則」に近いのですが依存的期待状態にある時って波長がネガティブになりがちです。そしてそのネガティブな波長に合わせて、現実もネガティブなものになっていきます。
「プレゼントをくれなかったらどうしようという依存的期待」→「プレゼントをくれないという怖れ/ネガティブへのフォーカス」→「実際にプレゼントをもらえないという現実の引き寄せ」ということですね。
逆に「プレゼントをくれたら最高!」という正のエネルギーであなたの指先・毛先から潜在意識まで満たされていれば「プレゼントをもらえる」という現実をずっと引き寄せやすくなります。これは是非ご自身で実体験してみて欲しいです。
そして、「記念日にプレゼントをもらえたら最高!」というワクワク感で記念日を待っている状態ではストレスとは無縁になります。
依存的期待(「記念日に何かもらえるはず」「何もくれなかったらどうしよう」「何もしてもらえなかったらどうしよう」)ではお察しの通り胃に穴が空くほどのストレスは必至ですが、
「素晴らしい記念日になったら最高!」というワクワク感ベースのマインドはその対極の心理状態と言え、ストレスに苛まれることはありません。
むしろ、記念日が待ち遠しくて仕方なくなるでしょう。
いつもブログで書いていますが、あなたの心の持ちようひとつで見える世界はガラリと変わりますし、手に入る世界も180度変わります。
A「○○じゃなかったらどうしよう」
B「○○だったら素晴らしい!!」
対象に対するこんな些細な解釈の違いだけで世界は大袈裟なくらい変わってくるのです。
辛くてストレスフルな依存的な心理は手放していくのがお勧めです。