つらいなら堂々と逃げ出そう。心が折れるまで頑張る必要はない。心が折れるまで頑張ってはいけない。傷ついたメンタルは回復にとてつもない時間が必要だ。一生治らない可能性すらある。「自己犠牲」はもうやめよう。自分を第一に大切にしよう。
— Ryuta.k (@Rkpb_R) 2021年9月13日
「辛いなら逃げよう」というツイートをよくします。
逃げるというとネガティブなイメージがつきものですがそんなことはありません。むしろ徹底的に「逃げずに立ち向かう」というのは褒められたものではありません。なぜならあらゆることに対して真正面から逃げずに立ち向かっていては身体がいくつあってもたりませんし、よっていずれは身体面もしくは精神面に不調をきたしてしまうと思われるからです。
真面目な人ほど病みやすかったり、最悪鬱になってしまうなどとよく言われていますが、「逃げないぞ!」と強く踏ん張っている人ほどそのように心身を壊してしまう傾向にあるのですね。
「逃げない、逃げたくない」と思っている人は上で述べたように真面目であると同時に「人からの期待を裏切りたくない」と思っているパターンが非常に多いです。
社会から背負わされている期待、会社から背負わされている期待、親からの期待、夫からの期待、妻からの期待、恋人からの期待…人それぞれ色々な「相手からの期待」を負っていると思いますが、
「その期待を裏切りたくない」「その期待を裏切ってしまっては自分に価値がなくなってしまう」「嫌われてしまう」「評価が下がってしまう」との思いから逃げることへの抵抗感が生まれてしまうわけです。その結果、自分を追い詰めてしまうまでアクセクと頑張ってしまうのですね。
当ブログを繰り返し訪れてくれている人なら重々ご存知のとおり、
「人からの期待を裏切りたくない」というのはイコール「他人軸」のあり方です。
まずは相手からの期待があり、それに自分が応えられるかどうかで、極端な話自分の価値を決めつけてしまっているわけですね。
先ほどの例を用いれば、まずは会社の上司からの期待があり、自分がそれにこたえられるか否か(ノルマを達成できるかなど)によって、自分の価値のようなものを判断してしまっているわけです。
強い表現を使うのであれば「他人の目線の奴隷になってしまっている」ということですね。
自分の心身を健全に保ち、軽い感じで気ままに自由に生きていくために大切なのは「逃げること」を躊躇しないことです。
そして「逃げること」を躊躇しないためには「他人の期待」に100%答える必要なんてないんだよと思えていることが大切です。
「他人の期待」をほどほどの塩梅で捉えるためにはやはり「自分軸」が重要です。
「私は私であり、他人は他人」「私は私であり、社会は社会」「私は私であり、人からの評価で私の価値が変わるわけじゃない」というのが自分軸のあり方です。
そしてそれは、ありのままの自分を否定せず許せているということで自己肯定感が高い姿だとも言えます。
自分軸を突き詰めて「私は私だよね♪」と物事を軽く捉えられるようになると「逃げること」についてもそれほど抵抗感は無くなると思います。
逃げたいときに逃げればいいんです。もちろん、頑張りたい気分の時には頑張ればいい。
「逃げること」を選べないのは他人軸。
「逃げること」or「立ち向かうこと」を気分次第で選べるのが自分軸です。
こちらも参考にしてください。