Ryuta.k【公式ブログ】

「自己肯定感と心理学」「ライフワークとパートナーシップ」を軸に発信しています

「ちゃんとしなきゃいけない」なんて卒業していい

 

実に多くの人が「ちゃんとしなきゃいけない」に縛られていると感じます。

 

 

・社会人としてちゃんとしなきゃいけない

・会社の一員としてちゃんとしなきゃいけない

・男として、女としてちゃんとしなきゃいけない

・夫として、妻としてちゃんとしなきゃいけない

・親としてちゃんとしなきゃいけない

 

 

私たちは物心ついた時より無数の「ちゃんとしなきゃいけない」にがんじがらめに縛り付けられていると言っても言い過ぎではないでしょう。

 

また、「ちゃんとしなきゃいけない」という強い観念があるということは「これならちゃんとしている」という、基準のようなものがあるということでもあります。

 

・社会人としてこうあるべき

・会社の一員としてこうあるべき

・男として、女としてこうあるべき

・夫として、妻としてこうあるべき

・親としてこうあるべき

 

というような基準です。こういった基準、「べき」が私たちがちゃんとしなければいけないという脅迫を感じる元凶のようなものでしょう。こういった「べき」は長い長い時間をかけて構成され、社会や世間の暗黙の了解となっていきます。この「べき」にあまりに強く囚われてしまっている状態が「他人の目線が気になってしょうがない」「自分が間違えてないか不安でしょうがない」という他人軸だということになります。

 

私が常々言いたいのは、意外と選択肢は多いし「ちゃんと」から外れても意外と大丈夫なんだよということです。

 

ちゃんとした社会人じゃなくてもある程度やっていけます。私はここ10年ほど時には個人事業主として時には小規模の経営者として活動しており「社会人経験」などないに等しい、いわゆる社不というやつですが何とかやってこれています。特に年配の方にとってはフリーランスとフリーターの違いなんて有って無いようなものなので自己紹介するたびに顔をしかめられますが逆に言えばその程度の弊害しかありません。なぜ年配の方の「しかめつら」に気を遣うあまり自分なりのライフスタイルを変えなきゃいけないのかと思っているぐらいです。

(いわゆる「ちゃんとした人」はそういった他者からの不穏な目線が我慢ならないようです。慣れればどうってことないのにね。)

 

 

ちゃんとしなきゃいけないと感じている人にとって「ちゃんとしない」というのはどうやら命綱無しでバンジーを飛ぶような恐怖があるようですが実際大したことないことがほとんどです。飛んでしまえばしっかり命綱は繋がれていますし、思ったより"高さ"もありません。「なんでこんなにビクビクしてたのかな?もっと早く飛んじまえばよかった…」と拍子抜けしてしまうくらいです。意外と大したことはありません。先ほど箇条書きした「ちゃんとライン」を飛び越えてしまうのはそれほど恐れることでもないんです。せいぜい旧態依然とした老人たちの反感なり不理解なり"しかめ面"なりを買うぐらいなのですね。

 

 

社会人としてちゃんとするのが嫌なら私のようにフリーターだかフリーランスだかフリーライターだか分からないような仕事を始めればいいんです。※大事なことですが私はフリーターではなくフリーランスです。

男としてちゃんとするのが嫌ならそんなくだらない役割は放棄して誰かに任せておけばいいんです。

保守的な「妻」になるのが面倒なのであればイノベーティブな家事万能イクメン料理男子を捕まえればいいんです。

 

 

役割にガチガチに縛られるには人生はあまりに短い。ちょっとずつ「ちゃんと」を手放していきましょう。