Ryuta.k【公式ブログ】

「自己肯定感と心理学」「ライフワークとパートナーシップ」を軸に発信しています

「人や世間の目が気になって自由に生きられない」のはとても苦しいこと

 

「幸せの定義ってなんだと思いますか?」と質問されて多くの人が抱きそうな回答のひとつは「自由であること」だと思います。自由であることってきっと幸せですよね。逆に、不自由であることは不幸です。24時間監視されている軟禁状態の人や何らかの容疑で勾留されている人、もしくは懲役で刑務所にいる多くの人は「早く自由になりたい」と思っていることでしょう。

 

しかしながら、例え軟禁状態でなくても、懲役中でなくても、意外と不自由で幸せとは言いにくい状態の人も多いのではないかと常々思っています。

それは「これをやりたい」と言う思いやビジョンはあるのに、「何か」に絡めとられ歯止めをかけられてしまっている人です。その「何か」は親の意見であったり、恋人の目線であったり、周囲の考え方であったり、世間的な同調圧力であったりするのですが、そういった「何か」と「自分のやりたいこと」がぶつかりあった時に妥協的にと言うか歯止めをかけられてしまう人は中々不自由な心理状態にあるのではないかと思ってしまいます。

 

さらに言えば、親の意見であったり、周囲の主張であったり、世間の目線であったり、「何か」に拒まれ不自由になってしまっている人は突き詰めれば「自分が自分を許せていない」「人に悪く思われるかもしれない自分を責めている」という風になるでしょう。

シンプルな例ですが、今の会社よりやりがいがある所に転職しようとしてるAさんがいるとする。でもその転職先は世間的な格付けが今の会社より低いし年収もガクンと落ちる。でもそこに行けば本当にやりたいことができそうだ。でもまず親にどう思われるか、結婚を考えている恋人にどう思われるか、大学からの旧友にどう思われるか、会社の同僚にどう思われるかを考えると怖い。考えれば考えるほど転職はしないべきな気がする。やっぱり転職はやめておこうとAさんは判断する。

 

こういったケースって本当によくあると思うんです。Aさんの心は転職をしたがっている。例え格付けや年収が下がってもワクワクする仕事をしたいと思っている。でも、周りにどう思われるかが怖い。実際に転職を反対されたわけでもないのに「ひとり相撲」で転職を断念してしまっている。

これって、自分が自分から自由じゃないから起こることなんですね。周りから反対されるかもしれない自分を許せていない。周りから「それは常識的じゃないよ」と言われ恥をかく自分を受け入れられていない。プライドが高いという言葉も当てはまるのかもしれませんね。軟禁されていなくても、懲役刑を課されていなくても、自分が自分を許せていなければ結局のところ不自由なのです。

転職を断念したAさんはその先の人生どう考えながら生きていくのでしょうか。「うん、年収も下がらなかったし結局転職しなくて正解だった」と自分に言い聞かせながら生きていくのでしょうか。それとも「あの時に好きなことをやっていればよかった。あの時が最大のチャンスだったのに」と後悔に苛まれながら生きていくのでしょうか。

自分の願望を抑圧する生き方、「やりたいこと」があるのに自分で自分にストップをかけてしまっている状態というのは苦しいものですし、それは一生の後悔に繋がりかねません。「やりたいことがあるのに、何かに阻まれている。自分を肯定できていないがゆえにそれをできない」という人は実はとても多いのです。

 

 

ここでもベースとなる考え方は「自己肯定感」という風になると思います。どんな自分も許してあげる。認めてあげる。

親に反対されるかもしれない→それでもいいじゃないか。恋人と別れることになるかもしれない→それでもいいじゃないか。世間から変に思われるかもしれない→それでもいいじゃないか。

「○○かもしれない」→それでもいいじゃないか。是非「○○」にあなたが最も恐れている事態を挿入してみてください。それでもなお「それでもいいじゃないか」と思えるようであれば、あなたはきっと自由への一歩を踏み出しつつあります。

 

「やりたいことがある、でも何かが怖くてできない」そんな人に大切なのは「それでもいいじゃないか」という自己肯定なのです。